林銑十郎関連エントリー

和気清麻呂・林銑十郎が建てた銅像(紀元2600年)

皇居周回ランニング・コースの北部分に、直刀を腰にさして立っている銅像があり ました。 和気清麻呂でした。 林銑十郎は、たしか満州事変に際して、独断で朝鮮軍を越境させた人物だったので はなかったでしょうか。 ...

和気清麻呂・林銑十郎が建てた銅像(紀元2600年)

林銑十郎による八紘一宇の碑

「越境将軍」「何にもせん十郎」で有名な林銑十郎の書。日光街道下り線、千住大橋の袂にひっそりと建っていた。 おまけ 今となっては小ぶりな千住大橋の写真。 [[attached(6)]]

林銑十郎による八紘一宇の碑

開通石@北参道 首都高下●No.020

... 皇紀二千六百年 明治神宮参拝道開通記念 陸軍大将林銑十郎書 とあります。 皇紀2600年は1940年(昭和15年)で,当時の日本政府はこの年に第12回東京オリンピックと紀元2600年記念日本万国博覧会を同時開催しようとしてたんですね。 ...

開通石@北参道 首都高下●No.020

麻生太郎の行動から自民党の崩壊を見る(総理大臣70日目)

... そこで、第6位の林銑十郎内閣(在職123日)を超えるよ、太郎様。 でも、ひっしょとしたら、総辞職が先かもね、ウフフ。 今日の麻生太郎氏: 頑張れ太郎くん、野党と呼ばれるその日まで。 ■午前8時37分、東京・神山町の私邸発。57分、国会着。 ...

麻生太郎の行動から自民党の崩壊を見る(総理大臣70日目)

今年は東京裁判判決60周年です

... その要請に応じて天皇の御裁可を得ないまま兵を満州領内へ進め、「越境将軍」ともてはやされた朝鮮軍司令官林銑十郎大将、以上四名だそうです。 防衛大学校の戸部良一教授はこの陸軍の暴走への対処の結果について、このように語っていました。 ...

今年は東京裁判判決60周年です

林銑十郎とは?

林 銑十郎(はやし せんじゅうろう、1876年2月23日 - 1943年2月4日)は日本の大日本帝国陸軍 陸軍軍人で第33代内閣総理大臣。陸軍大将、正二位、勲一等、功四級。
石川県金沢市に士族(旧加賀藩士)の子として生まれる。1894(明治27)年、日清戦争が勃発すると、東京都立戸山高等学校 府立城北尋常中学(東京府立四中)を中退し、陸軍士官学校に入学。1903(明治36)年、陸軍大学校を卒業。1905(明治38)年に勃発した日露戦争に従軍し、旅順攻撃に参加。以後、陸軍大学校校長、近衛師団長、朝鮮軍司令官、陸軍大将と進み、斎藤実、岡田啓介内閣で陸軍大臣を務める。1937年(昭和12年)内閣総理大臣。

林銑十郎の詳細